日本語の中で、しばしば議論の的となる言葉遣いの一つに「ら抜き言葉」があります。
「食べれる」「見れる」など、本来は「食べられる」「見られる」とするべきところを、「ら」を省略して使用する表現方法です。
この記事では、「ら抜き言葉」の正誤について考察し、その使用法と歴史的背景を探ります。
「ら抜き言葉」とは
「ら抜き言葉」は、可能形を作る際に使われる助動詞「られる」の「ら」を省略した表現を指します。
例えば
- 食べられる → 食べれる
- 見られる → 見れる
- 来られる → 来れる
このような言葉遣いは、日常会話でよく耳にする一方で、文法的に正しくないとされることもあります。
「ら抜き言葉」の歴史的背景
「ら抜き言葉」は比較的新しい言語現象ではありますが、その起源は意外と古いのです。
- 江戸時代後期から使用例が確認されています。
- 明治時代以降、徐々に使用が広がりました。
- 1970年代頃から急速に普及し、現在に至ります。
言語学者の中には、この現象を自然な言語変化の一部と捉える見方もあります。
日本語の歴史を振り返ると、様々な変化を経て現在の姿になっていることがわかります。
「ら抜き言葉」もその流れの一つと考えることができるでしょう。
「ら抜き言葉」の使用例
日常生活のさまざまな場面で「ら抜き言葉」を耳にすることがあります。
以下に具体例を挙げてみましょう。
- 家庭内での会話
「今日の夕飯、何が食べれる?」
「新しい服、明日着れるかな」 - 友人との会話
「週末、映画見に行けれる?」
「この本、貸してもらえれば助かる」 - 学校での会話
「先生、この問題が解けれません」
「体育館に入れるのは何時からですか?」 - 職場での会話
「この書類、今日中に仕上げれそうですか?」
「新しいシステム、使いこなせれるか心配です」
これらの例からわかるように、「ら抜き言葉」は私たちの日常会話に深く浸透しています。
しかし、フォーマルな場面では避けられる傾向にあります。
「ら抜き言葉」の是非
「ら抜き言葉」の使用については賛否両論があります。
肯定的な見方
- 言葉の省略による発話の効率化
- 若い世代を中心に広く受け入れられている
- 自然な言語変化の一部である
否定的な見方
- 伝統的な日本語文法から逸脱している
- 意味の曖昧さを生む可能性がある
- 公式文書やフォーマルな場面では不適切
言語学者の間でも意見が分かれており、一概に正誤を判断することは難しいのが現状です。
「ら抜き言葉」の正しい使用法とは
「ら抜き言葉」の使用に関して、絶対的な正解はありませんが、場面や状況に応じた適切な使い分けが重要です。
日常会話やフォーマルではない場面
- 「ら抜き言葉」の使用は比較的許容されます。
- ただし、相手や場の雰囲気を考慮することが大切です。
ビジネスシーンやフォーマルな場面
- 基本的には「られる」形を使用するのが無難です。
- 特に、文書作成や公の場面では注意が必要です。
教育現場
- 標準的な日本語文法を教える観点から、「られる」形を指導するのが一般的です。
- ただし、「ら抜き言葉」の存在とその背景について説明を加えることも重要です。
結局のところ、コミュニケーションの基本は相手に正確に意図を伝えることです。
場面や相手に応じて適切な表現を選ぶことが、スムーズなコミュニケーションにつながります。
まとめ
「ら抜き言葉」は、日本語の変化の一端を示す興味深い言語現象です。
その使用の是非については議論が続いていますが、完全に否定することも、無条件に受け入れることも難しいのが現状です。
重要なのは、場面や状況、相手に応じて適切に使い分けることです。
日常会話では比較的許容されますが、フォーマルな場面では従来の「られる」形を使用するのが無難でしょう。
言語は常に変化し続けるものです。
「ら抜き言葉」の今後の展開にも注目しつつ、コミュニケーションの本質である「相手に正確に意図を伝える」ことを忘れずに、豊かな日本語表現を楽しみたいものです。