若者言葉として批判されることの多い「ら抜き言葉」。
「食べれる」「見れる」といった表現を耳にすると、違和感を覚える人も多いのではないでしょうか。
この記事では、ら抜き言葉の歴史的背景や現状、また世代による受け止め方の違いについて掘り下げていきます。
ら抜き言葉とは
ら抜き言葉は、本来「食べられる」「見られる」と言うべきところを、「られ」の「ら」を省いて「食べれる」「見れる」と表現する言い方です。
特に若い世代を中心に広がっており、日常会話では頻繁に耳にするようになっています。
歴史的な観点から見る「ら抜き言葉」
実は、ら抜き言葉は決して新しい現象ではありません。
江戸時代の文献にも同様の表現が確認されており、すでに数百年の歴史があることがわかっています。
当時から、話し言葉として使われていた形跡が残されています。
なぜ「ら抜き言葉」が使われるようになったのか
言葉の省略化は、コミュニケーションを円滑にしようとする自然な流れの一つと言えます。
「られる」という表現を「れる」に短縮することで、発話の労力が減り、よりスムーズな会話が可能になります。
また、「見られる」という表現には「他人に見られる」という受身の意味も含まれるため、可能の意味を表す場合には「見れる」と区別したいという意識が働いているとも考えられます。
ら抜き言葉への評価や対応はどうなのでしょう?
世代による受け止め方の違い
ら抜き言葉に対する評価は、世代によって大きく異なります。
50代以上の世代では「誤った日本語」「言葉の乱れ」として否定的に捉える傾向が強いです。
一方で、30代以下の若い世代では自然な日本語として受け入れている人が多くなっています。
教育現場での扱い
学校教育では依然として「ら抜き言葉」を誤用として扱うことが一般的です。
しかし、実際の社会では広く使用されており、このギャップが若者たちの混乱を招くこともあります。
国語教育において、どのように扱うべきかという議論も続いています。
言語学者の見方
多くの言語学者は、ら抜き言葉を言語の自然な変化の一つとして捉えています。
言葉は時代とともに変化するものであり、その変化を「正しい・間違い」という単純な二分法で判断することは適切ではないという見方が主流です。
ビジネスシーンでの使用
フォーマルな文書や仕事上のコミュニケーションでは、依然として従来の「られる」形が推奨されています。
特に客先への提案書や報告書などでは、ら抜き言葉の使用は避けるべきとされています。
これからの日本語と「ら抜き言葉」
言葉の変化は止めることができません。
ら抜き言葉も、今後ますます一般化していく可能性が高いと考えられます。
大切なのは、場面や状況に応じて適切な表現を選択できる言語感覚を養うことではないでしょうか。
まとめ
ら抜き言葉は、日本語の自然な変化の一つとして捉えることができます。
否定的に見る必要はありませんが、フォーマルな場面では従来の表現を使うなど、状況に応じた使い分けが求められます。
言葉は生き物のように変化し続けるものであり、その変化に柔軟に対応していく姿勢が重要なのではないでしょうか。
このような言葉の変化は、世代間のコミュニケーションギャップを生むこともありますが、それぞれの立場を理解し、寛容な態度で接することが、より良いコミュニケーションにつながるはずです。